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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)9078号 判決 1991年3月26日

原告

渡辺昌也

右訴訟代理人弁護士

細田初男

田中重仁

杉村茂

島田浩孝

被告

右代表者法務大臣

左藤恵

右指定代理人

榎本恒男

外三名

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

和久井孝太郎

外三名

被告

原田嘉明

高橋幸雄

田中勝之

右被告原田、同高橋、同田中訴訟代理人弁護士

山下卯吉

福田恒二

金井正人

被告

田中司郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは原告に対し、連帯して金四三八万三一七四円及びこれに対する被告国、同東京都、同原田嘉明、同田中勝之及び同田中司郎については昭和五八年一〇月二日から、被告高橋幸雄については昭和五八年一〇月四日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が後記刑事事件の被疑者、被告人として違法に逮捕・勾留され、起訴されたと主張して、これによって受けた休業損害並びに精神的苦痛及び弁護士費用の損害につき、右事件の捜査を担当し又は起訴した警察官及び検察官ら個人に対し不法行為に基づく損害賠償を、また右捜査官らの任用者である被告東京都及び同国に対し国家賠償を請求している事案である。

一刑事事件の発生

昭和五二年一〇月一六日午前零時過ぎころ、東京都足立区椿一丁目五番地先椿南公園及び付近路上に、多数の角材・丸太・鉄パイプ・石塊等の凶器を準備した暴走族「ロードランナー」及び「ジェロニモ」のグループ員数十名が集合し、同零時五〇分ころから同一時五分ころにかけて右場所先の環状七号線路上において、(一)江澤哲朗(当時一七歳)に対し、その左腕を丸太で殴打する暴行を加え、よって同人に加療約八週間を要する左上腕骨骨折の傷害を負わせ、(二)古田幹雄(当時二一歳)の車両(自動二輪車)に対し、こもごも投石したり、丸太で同車のハンドル・バックミラーを叩き割り、もって数人共同して同人所有の車両のハンドル・バックミラー(時価一万円相当)を損壊し、(三)午前一時ころ、中村敬(当時二五歳)に対し、こもごも空缶・空瓶等を投げつけ、鉄パイプで殴りかかる等の暴行を加え、もって数人共同して暴行をなし、(四)午前一時五分ころ、森田孝明(当時一七歳)及び会田三郎(当時一七歳)に対し、こもごも同人らの肩等を鉄パイプ・角材等で殴りつけ、投石する等の暴行を加え、もって数人共同して暴行をなすという刑事事件が発生した(以下「本件刑事事件」という。)。

二被告

1  被告原田嘉明、同高橋幸雄(以下それぞれ「被告原田刑事」、「被告高橋刑事」という。)は、昭和五二年一二月当時いずれも警視庁防犯部少年第一課所属の司法警察員で、警視庁西新井警察署(以下「西新井署」という。)に派遣され、本件刑事事件の捜査を担当し、原告に対する取調捜査を行った者である。

2  被告田中勝之(以下「被告田中刑事」という。)は、右当時西新井署所属の司法警察員で、同じく本件刑事事件の捜査を担当した者である。

3  被告田中司郎(以下「被告田中副検事」という。)は、右当時東京地方検察庁の検察官事務取扱副検事として本件刑事事件の捜査を担当し、原告を取り調べたうえ、同事件で東京地方裁判所に起訴した者である。

4  被告東京都は、同原田刑事、同高橋刑事及び同田中刑事の任用者であり、同国は同田中副検事の任用者である。

三捜査の担当者

本件刑事事件の捜査陣は、警視庁防犯部少年第一課所属の被告原田刑事(当時警部補)、訴外藤井衛(同警部補)、被告高橋刑事(同巡査部長)、訴外松野重幸(同巡査部長、以下「松野刑事」という。)及び訴外安藤譲一(同巡査、以下「安藤刑事」という。)並びに西新井署所属の訴外荻原幸夫防犯課長(同警部、以下「荻原刑事」という。)、被告田中刑事(同防犯課少年係長で警部補)、訴外赤星敏明(同巡査部長、以下「赤星刑事」という。)及び訴外小野和夫(同巡査部長、以下「小野刑事」という。)が中心となり、その実質的責任者は被告原田刑事と同田中刑事であり、これを指揮した主任検察官が同田中副検事であった。

四捜査経過<略>

五原告の逮捕、勾留

原告は、昭和五二年一二月一〇日に逮捕され、同月一三日に被告田中副検事の請求に基づき発付された勾留状の執行以後、昭和五三年五月二四日に釈放されるまで勾留された。

六刑事裁判の経過及び結果

原告は、本件刑事事件に関与した者として、昭和五二年一二月二八日に別紙記載の公訴事実により凶器準備集合、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件で東京地方裁判所に起訴され、昭和五三年五月二四日同裁判所において懲役一年、執行猶予三年の有罪判決を受けたが、東京高等裁判所に控訴し、同裁判所は昭和五四年一二月二四日に、原判決を破棄し、東京地方裁判所に差し戻す旨の判決をし、東京地方裁判所は昭和五六年四月二八日、原告に対し無罪の判決を言渡し、同判決は確定した(なお、田中基之及び金子誠も本件刑事事件に関与したとして、原告と同じ公訴事実で東京地方裁判所に起訴され、原告と同様、一審で有罪判決を受けたが、控訴審で破棄差戻となり、原告の審理と併合された差戻審で無罪判決を受け、同判決は確定した。以下これらの刑事裁判を総称して「刑事審」という。)。

(一ないし六の各事実は当事者間に争いがない。)

七争点

原告は次のとおり主張している。

1  被告原田刑事、同高橋刑事及び同田中刑事は、前記捜査官らと共同して、原告を田中基之及び金子誠(以下「原告ら三名」という。)とともに本件刑事事件の主犯格に仕立て上げようと企て、原告ら三名及びその他の本件刑事事件の被疑者及び参考人の取調に当たり、暴行、脅迫、偽計、利益誘導(以下「暴行・脅迫等」という。)の手段を用いた違法な取調により、原告ら三名が本件刑事事件の犯行に関与したとか原告ら三名のアリバイ工作に協力するように要請されたとの供述を押しつけ、その結果内容虚偽の供述調書を作成して、故意又は過失により、原告には本件刑事事件に関与したとの嫌疑があったとはいえないのに同人をして逮捕・勾留及び起訴されるに至らしめた。

2  被告田中副検事は、右警察官らの違法な取調を容認して内容虚偽の供述調書の作成に加担し、自らも田中基之の取調に際し任意に供述できないように仕向ける違法な取調を行うことにより、同人の内容虚偽の供述調書を作成し、故意又は過失により、原告には本件刑事事件に関与したとの嫌疑があったとはいえないのに、原告に対する勾留状を請求して同人を勾留されるに至らせ、かつ原告を前記公訴事実により起訴した。

3  被告原田刑事、同高橋刑事、同田中刑事及び同田中副検事は、原告の主張するアリバイの裏付捜査を怠り、そのため故意又は過失により、原告には本件刑事事件に関与したとの嫌疑があったとはいえないのに同人をして起訴されるに至らせ、又は同人に対する公訴を提起した。

右主張の当否が本件の争点である。

第三争点に対する判断

一各争点の判断に先立ち、被告原田刑事、同高橋刑事、同田中刑事及び同田中副検事に対する請求について検討するに、原告は、被告原田刑事、同高橋刑事、同田中刑事及び同田中副検事に対して損害賠償を請求しているが、公権力の行使に当たる国又は公共団体の公務員がその職務を行うにつき故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、当該国又は公共団体がその被害者に対して賠償の責に任じ、公務員個人はその責を負わないものと解すべきところ(最高裁判所昭和二八年(オ)第六二五号同三〇年四月一九日第三小法廷判決、民集九巻五号五三四頁、最高裁判所昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決、民集三二巻七号一三六七頁参照)、原告の右被告らに対する本訴請求はいずれも、公権力の行使に当たる国又は公共団体の公務員である被告らがその職務を行うにつき原告に与えた損害についてその賠償を求めるというものであるから、その余の点については判断するまでもなく、失当として棄却を免れない。

二本件刑事事件の捜査の経過

次に、本件刑事事件の捜査の経過について検討するに、前記当事者間に争いのない事実及び後記各該当箇所に摘示した証拠によれば、次の各事実を認めることができる。

1  本件刑事事件は、昭和五二年一〇月一六日午前零時過ぎころ、暴走族「ロードランナー」の構成員ら五〇ないし六〇名が、対立する暴走族「スペクター」の構成員を襲撃する目的で環状七号線路上付近に角材、鉄パイプ、丸太等の凶器を持って集合し、同道路を通行中の自動二輪車の運転者らに対し、次々と無差別にコーラ瓶等を投げつけ、転倒した運転者を角材、鉄パイプ、丸太等で殴打する等し、被害者のうち一人に対し、全治八週間を要する上腕骨骨折の傷害を負わせる等した事案であり、事件発生後の昭和五二年一〇月一六日午前一時三〇分ころ、通行人からの一一〇番通報が捜査の端緒となった(<証拠>)。

2  右通報により西新井署の警察官がパトカーで現場に急行したものの、被疑者らはすでに角材、鉄パイプ、ヘルメット等を現場に遺留して逃走した後であった。その際、警察官は逃げ遅れた真間、阿部、山中利幸らを現場で発見し、同人らに職務質問をしたところ、同人らは犯行に関与した事実を否定したため、同人らを検挙するには至らなかったが、本件刑事事件と近接した同月一五日午後一〇時三〇分ころ、前同所付近で発生した暴走族「スペクター」の構成員に対する暴行事件の被害者らの供述から、警察官らは本件刑事事件も前記暴走族「ロードランナー」の構成員の犯行であるとの嫌疑を抱くに至った(<証拠>)。

3  当時、西新井署では、同年九月一七日に発生した暴走族「極悪」による凶器準備集合被疑事件を捜査中であり、同年一〇月二四日に塚本及び新井こと朴文緒(以下「朴文緒」という。)をそれぞれ右九月一七日の事件の容疑で取り調べたところ、同人らが本件刑事事件にも関与していることを供述したことから、本件刑事事件の捜査が本格的に開始されることになった(<証拠>)。

4  被告原田刑事は同月二五日、小野刑事、安藤刑事とともに塚本を同行して本件刑事事件の犯行現場である椿南公園に赴き、同人立会の下に実況見分を行い、同人の指示説明に従い、右公園内や公園に隣接した道路の側溝から丸太二本、竹棒一本、角材三本を発見し、また、同日、塚本を取り調べ、同人から本件刑事事件が暴走族「スペクター」に対する襲撃を目的とした暴走族「ロードランナー」の構成員らの犯行であること、右事件には足立区立第五中学校卒業の朴文緒、住岡、澤田ら、同区立西新井中学校卒業の丸山弘、丸山良一、杉田、同区立第八中学校卒業の真間、山中利幸、山中久義、阿部、鶴増、根布谷、森、横山、田邊ら及び山中久義の女友達である清水らが犯行に加わっていた旨の供述を得たほか、右塚本は自ら略図を作成し、右共犯者らの犯行状況についても詳細な供述を得た(<証拠>)。同人の右供述内容は実況見分の結果とも符合していた(<証拠>)。

5  赤星刑事は同月二七日、朴文緒を取り調べ、同人から本件刑事事件が暴走族「ロードランナー」の構成員らの犯行であること、右事件には塚本のほか足立区立第五中学校卒業の住岡、澤田ら、同区立西新井中学校卒業の丸山弘、丸山良一、杉田ら、同区立第八中学校卒業の真間、山中利幸、山中久義、粟野、阿部、鶴増、根布谷、森、横山、清水らが犯行に加わっていた旨の供述を得たほか、犯行状況につき詳細な内容の供述を得た(<証拠>)。

6  被告原田刑事は、同月二六日から同月三〇日までの間、本件刑事事件の被害者らを取り調べ、その供述内容が前記塚本及び朴文緒の供述内容と概ね符合していたので(<証拠>)、同被告は本件刑事事件が暴走族「ロードランナー」の構成員による犯行であると認め、塚本及び朴文緒が明らかにした共犯者の阿部、鶴増、真間、山中久義、根布谷、丸山弘、粟野、澤田、森、横山、住岡、杉田、田邊の一三名について、強制捜査の必要があると判断し、その旨を荻原刑事に報告し、これを受けた同刑事は、一一月二日右一三名に対する逮捕状を請求しその発付を受けた(<証拠>)。

7  そして、被告原田刑事ら警察官は右一三名について順次逮捕して取り調べることにし、山中久義ら五名を第一陣として逮捕して取り調べたところ、同人らが、原告ら三名を含む暴走族「ジェロニモ」の構成員が本件刑事事件に関与していることを供述し(<証拠>)、結局原告ら三名を含む二七名が順次逮捕されるに至った。右二七名の逮捕者を含む被疑者(本件刑事事件には直接関与していないが、同事件当時犯行現場にいた須賀明美を含む。)の供述調書のうち、原告ら三名の本件刑事事件関与に関する供述部分の概略は別紙「被疑者取調経過一覧」記載のとおりである(<証拠>)。

8  以上の事実によれば、本件刑事事件の捜査に当たった西新井署の警察官らは、当初は暴走族「ロードランナー」の構成員の犯行らしいとの疑いは抱いたものの、確実に被疑者の特定をするには至らず、たまたま別件で取調をしていた塚本及び朴文緒らが本件刑事事件について自白し、山中久義ら同事件の共犯者の氏名を明らかにしたことから捜査が進展し、右山中らの取調の結果次第に原告ら三名を含む暴走族「ジェロニモ」の構成員が犯行に加わっている旨の供述が得られるに至ったものであることが認められる。

三争点1(暴行・脅迫等を用いた違法な取調の有無)について

1  原告ら三名及びその他の被疑者に対する取調について

原告は、警察官らが前記被疑者らに対し、暴行・脅迫等の手段を用いた違法な取調により、原告ら三名が本件刑事事件に加担したとの供述を押しつけたと主張し、右主張に副う趣旨の前記被疑者らの刑事審及び本件における証言が存するので、まずこれらの証拠について個別に検討する(なお、各被疑者の番号は別紙被疑者一覧表記載の番号と一致し、また、以下、特に断らない限り、日付は昭和五二年のものである。)。

(一) 山中久義(3番)の供述

山中久義は、刑事審(原告の控訴審)において、「原告ら三名ともいなかった」旨の証言をしたうえ、「警察での取調の際に、原告ら三名がいたと言ったのは刑事が原告ら三名の写真を持ってきて、『こういうものがいただろう。いなかったと言うと勾留が延長されるぞ』と言われたり、机を叩かれたのでやむなく原告ら三名の本件刑事事件加担を認める供述をした」と警察官から脅迫された旨の証言をしている(<証拠>)。

しかし、山中久義は逮捕当日の一一月四日に、小野刑事から取り調べを受けた際、自己の犯行を認めたうえ、「鹿浜中の渡辺とその友人二、三人がいて、大先輩のデッキ(二二ないし二四歳)が中心的役割を果たしていた」旨供述し(<証拠>)、一一月九日には「デッキは岩崎ではなく田中もとゆきである。もとさんは成人なので、名前をはっきり出すと重く処罰され、後で仕返しをされるのが怖かったので嘘を言った」旨の供述をし(<証拠>)、さらに一二月二三日に被告田中副検事の取調を受けた際にも原告ら三名の本件刑事事件関与を認める供述をしているところ(<証拠>)、昭和五三年三月一五日、刑事審(原告の第一審)の出張尋問の際には、補導委託先の慈徳学園において、「原告はいなかったが、田中基之及び金子誠はいた」旨の証言をし(<証拠>)、その後同年五月一日に実施された刑事審の出張尋問(田中基之及び金子誠の第一審)の際には、同補導委託先において前とは反対に「田中基之及び金子誠はいなかったが、渡辺という名の者はいた」旨の証言をする(<証拠>)等、同人の前記刑事審の証言は一貫性に欠け、多分に原告の存在を意識してなされたものであることがうかがわれること、山中久義は、逮捕当日の一一月四日の取調から自己の犯行を認めるとともに、「渡辺」という名前を出し、右取調に当たった小野刑事はその当時も原告の名前を知っていたが、山中久義が供述する右「渡辺」が原告のことであるとは考えず、むしろ山中久義が自己の責任逃れをしていると考え、また同人は多数の余罪があったため、小野刑事はその余罪捜査に忙殺されていたので、右「渡辺」が誰であるかまでは山中久義を深く追及しなかったというのであるから(<証拠>)、同刑事が山中久義に対しことさら同人が証言するような脅迫を加えてまで原告ら三名の本件刑事事件関与を認める供述を得なければならない必然性があったとは考え難いこと、同人が右脅迫の事実を言い出したのは刑事審の控訴審になってからであって刑事審の第一審において証人となった際にはそのような事実は述べていないこと及び脅迫の事実を否定する右小野証言に照らして、警察官らが脅迫的言動をとったので原告ら三名の名前を出したとする山中久義の前記刑事審(原告の控訴審)の証言(<証拠>)は信用することができない。

(二) 真間(7番)の供述

真間は、前日の一一月四日に山中久義が「渡辺」という名前を初めて供述した翌五日に、「鹿浜中卒でジェロニモのリーダーのもとさんらがいた」旨供述したものであり、「もとさん」とは田中基之の愛称であるが、これが西新井署における本件刑事事件の被疑者の取調で田中基之の名前が出された最初であった(<証拠>)。その後、同人は同月一〇日(<証拠>)に金子誠も本件刑事事件に関与していた旨供述しているところ、証人真間幸広は、「右供述調書作成に際し、調書をとった被告高橋刑事から頭や顔を殴る等の暴行を加えられたり、少年院行きだと脅迫されたために原告ら三名の関与を認める供述をした」旨の証言をしている。

しかし、前記のとおり一一月四日に山中久義から「渡辺」の名前が出た段階では西新井署の警察官らは本件刑事事件の成人関与につき明確な嫌疑を抱いていなかったのであり、また、山中久義は「デッキ」という名前を出していたが、具体的に田中基之という名前は出していなかったのであるから、この時点で西新井署の警察官が真間に「田中基之がいた」旨の供述を強要したとは考え難い。

のみならず、真間は一二月七日、本件刑事事件に関し、東京家庭裁判所において保護観察処分になって後、北村検事の取調を受けた際にも従前の供述を維持しているし(<証拠>)、北村検事の右取調の際には暴行・脅迫等は受けなかったことを証言している(なお、これらの点について真間は、本件で、「検察官の取調の際はもはや自由の身になったのでどうでもいいとの気持ちで虚偽を述べたのであり、警察で暴行・脅迫等を受けた事実も供述しなかった」旨の証言をしているが、信用することができない。)。これらの事情と、真間が被告高橋刑事から暴行・脅迫等を受けたと言い出したのは、同人が本件において証人となった際が初めてであって、刑事審の際には証人としてそのような証言をしていないこと及び被告高橋幸雄本人尋問の結果に照らすと、警察官の取調の際に暴行・脅迫等を受けたという真間の前記証言は信用することができない。

(三) 粟野(4番)の供述

粟野は、刑事審(原告の第一審、田中基之及び金子誠の第一審及び原告の控訴審)において、「警察官から暴行を受けたため、原告ら三名が本件刑事事件に関与した旨虚偽の事実を供述した」とか、「逮捕されて二日目の一一月五日に五ないし一〇発殴打されたり、髪をつかんで壁に打ちつけられる暴行を受けた」と証言している(<証拠>)。

しかし、西新井署の警察官らは一一月四日に山中久義が「鹿浜中の渡辺とその友人二、三人がいて、大先輩のデッキ(二二ないし二四歳)が中心的役割を果たしていた」旨の供述をしたことから、あるいは成人が本件刑事事件に関与していたかも知れないとの疑いは抱いていた可能性は認められるものの、強制捜査が開始されて間もない一一月五日の時点で、自己の犯行につき素直に供述している粟野に対し、暴行を加えてまで原告ら三名が本件刑事事件に関与した旨の供述を強要すべき事情があったとは認め難く、現実にも粟野は一一月一〇日になって初めて原告ら三名につき供述していること(<証拠>)、同人の刑事審における証言は、最初の証言では田中基之は現場におり、原告も多分現場にいたとしているのに、後に行われた証言では最初に田中基之の現場存在を証言したが、後に証言の後半ではこれを不明であるとし、前回の証言は嘘であったとする等一貫していないこと(<証拠>)、同人は山田検事の取調の際にも、従前の供述を維持しており(<証拠>)、右取調の際に暴行・脅迫等を受けたとは証言していないこと(<証拠>)等の事情を考慮すれば、粟野の前記刑事審の各証言は採用することができない。

(四) 鶴増(9番)の供述

証人鶴増弘幸は、「一一月一七日の取調から、原告ら三名の犯行関与について供述しないと被告田中刑事らに手拳で殴打する暴行を受けたり、少年院に送ると脅迫された」とか、「一一月一八日、一九日ころ被告田中刑事(あるいは被告高橋刑事)が原告ら三名の写真を示し、鶴増が分からないと述べたところ、留置場で仲間と話を合わせてこいと言われた」旨の証言をしている。

しかし、鶴増は右一一月一七日の取調では原告の名前を供述していないこと(<証拠>)、一一月一八日、一九日ころ被告田中刑事及び同高橋刑事は根布谷及び田邉の取調で多忙であったこと(<証拠>)、鶴増が右被告田中刑事らから暴行・脅迫等を受けたと言い出したのは、同人が本件において証人となった際が初めてであって、刑事審の際には証人としてそのような証言をしていないこと等の事情に照らすと、同人の右証言は採用することができない。

(五) 住岡(12番)、根布谷(14番)及び杉田(15番)の供述

証人住岡唯一は、「捜査段階において、田中基之は本件刑事事件の現場にいなかったと供述したところ、安藤刑事から足を踏まれる等の暴行を受けた」旨の証言をしているが、同人が安藤刑事から暴行を受けたと言い出したのは本件で証人となってからであって、刑事審(原告ら三名の差戻審)において証人となった際にはそのような事実を証言していないこと(<証拠>)に照らして、右証言は信用することができない。

また、証人根布谷義和及び同杉田政幸も、「本件刑事事件の取調の際被告高橋刑事らが殴打等の暴行を加えたり、少年院に送ると脅迫した」旨の証言をしている。

しかし、右両名が被告高橋刑事らから暴行・脅迫等を受けたと言い出したのは、同人が本件において証人となった際が初めてであって、刑事審の際には証人としてそのような証言をしていないこと(杉田は刑事審(原告の控訴審)で証人として証言しているが、その際は被告高橋刑事らから暴行・脅迫等を受けたとは証言していない(<証拠>)。)、右根布谷の証言は、一一月一八日に同人に暴行を加えたとする警察官が被告高橋刑事なのか、被告田中刑事なのか一貫しておらず、また、一一月二三日の暴行の状況が曖昧であるうえ、同人は一二月二四日の北村検事の取調の際にも、「原告ら三名がいたかも知れない」と警察官に対する供述と同内容の供述をしていること(<証拠>)、右杉田の証言も、暴行を加えたのが、本庁の刑事なのか小野刑事なのかに関する供述が変遷している等、肝心な部分が不自然であること等の事情に照らすと、根布谷及び杉田の前記証言も信用することができない。

(六) 遠藤(21番)、武川(20番)及び大久保(22番)の供述

遠藤は、刑事審において、一旦「警察での取調の際、警察官から暴行を受けた」旨の証言をしたが(<証拠>)、後にこれを撤回している(<証拠>)。

また、武川は、刑事審(原告の控訴審)において、「警察での取調の際、小野刑事から拳骨で三発くらい殴られたり、首筋をつかんで振り回し壁に頭を叩きつけられる等の暴行を加えられた」とか、「鑑別所に入れると脅迫された」旨の証言をしている(<証拠>)。

しかし、武川は、「逮捕後四、五日したら言葉遣いが悪いといって殴られました」とも証言し、原告ら三名の犯行関与に関する供述を暴行によって強制されたとは証言しておらず、一貫していないこと、同人は逮捕当日から自らの犯行関与については自白していたのであるから(<証拠>)、取調に当たった警察官が同人に暴行を加える可能性は乏しいと考えられるうえ、同人が少年鑑別所に入所した後の同年一二月二一日の検察官に対する供述調書においても、自己の犯行関与と原告ら三名の犯行関与について供述していること等に照らすと、同人の前記刑事審における証言は信用することができない。

さらに、大久保は、刑事審(原告の控訴審)において、「自己が逮捕された日(一二月二日)の取調中、隣の部屋から『この野郎』という声とロッカーにぶつかるような音が一、二回聞こえた」等と証言し(<証拠>)、本件でも、「逮捕された日の取調中、隣の部屋から『この野郎』という刑事の声と机を叩いたりロッカーを蹴飛ばしたりする音が聞こえた」等と証言する(<証拠>)。

しかし、右の点は、同人が<証拠>の証人尋問期日より八か月以上前に刑事審(田中基之及び金子誠の第一審)で証言した際には供述していないことであるし(<証拠>)、仮にそのような事実があったとしても、同人はその後留置場で同房となった塚本や山中利幸と話をした際、同人らに隣の取調室で暴行・脅迫等を受けたか否かについて聞いておらず、隣の部屋で聞こえた声や物音が、本件刑事事件の被疑者に対し警察官が加えた暴行・脅迫等によるものか否か不明であったわけであるから、その後原告ら三名が本件刑事事件に関与したとの供述を始める動機としては不合理であり、右大久保の証言は不自然な部分が多く信用することができない。

(七) 内田(39番)の供述

内田は、刑事審(原告の控訴審)において、「本庁の刑事から逮捕当日に椅子を蹴飛ばされ、平手で二、三発殴打された」とか、「原告ら三名がいたと言わないと勾留を続けて鑑別所や少年院に行くと言われた」旨の証言をしている(<証拠>)。

しかし、同人は、一二月一三日に逮捕され、第一回目の取調から原告ら三名の本件刑事事件関与につき供述しているが(<証拠>)、一二月二三日に少年鑑別所において北村検事に取調を受けた際も原告ら三名の本件刑事事件関与につき供述し、その際警察段階での取調に際し、暴行を加えられたことについては訴えていないこと(<証拠>)、家庭裁判所の審判の際にも裁判官に右の点を訴えていないこと(<証拠>)等の事情及び被告田中刑事の刑事審(田中基之及び金子誠の第一審)における証言(<証拠>)に照らすと、右暴行を加えられたとの前記刑事審における証言は信用することができない。

(八) 朴文緒(2番)の供述

証人朴文緒は、「一一月三〇日、原告ら三名がいたかどうか質問され、いなかったと言うと赤星刑事とともに取調に当たった本庁の刑事が二、三回平手で後頭部を叩いた」とか、「本庁の刑事から正直に言わないと逮捕すると脅かされた」等と証言している。

しかし、同人の証言には、自己に暴行を加えたとする刑事の名を覚えていないとか、自己に暴行を加えたとするその刑事が取調室から立ち去って赤星刑事のみが引き続き取調に当たってからも(朴文緒は赤星刑事とは面識があり、同人の人柄がソフトであること、同人からは暴行・脅迫等は受けていないことを認めている。)、早く帰りたいと思って虚偽の自白を維持したとか、取調中に見せられたとする丸山弘の供述調書(<証拠>、これには原告に関する供述はない。)に原告が本件刑事事件に関与している部分があったかのように証言する等首肯し難い不合理な内容や客観的事実に反する部分が多い。また、同人は検察官の取調の際には暴行・脅迫等を受けていないというのに警察での供述内容をそのまま維持し、二七枚の写真から原告ら三名を選び出しており、警察で暴行・脅迫等を受けた旨を検察官に述べておらず(<証拠>)、これらの事情に照らすと、朴文緒の右証言は採用することができない。

(九) 田中基之の供述

田中基之は、刑事審の証言(原告の第一審)及び被告人質問(同人及び金子誠の第一審)において、自己の起訴事実を否認するとともに原告及び金子誠の本件刑事事件関与を否定するに至り、捜査段階で自白した理由として、「西新井署の警察官が自己の弁解を全然信用しようとせず、自白を強要した」とか、「取調室に五、六人の刑事がいて自白を迫り、『両親が泣いていた』『絶対に懲役に送ってやる』『原告らをパクリに行く』等の脅迫的なことを言われて取調を受けた」とか、「刑事から『素直に言えば年内に出してやる』等の利益誘導をされた」とか供述ないし証言をし(<証拠>)、本件においても証人として同趣旨の証言をしている(<証拠>)。

しかし、当時の西新井署の取調室の状況(<証拠>)からみて、田中基之が述べるように一度に五、六人もの警察官が入って取調をすることは不可能と認められること、田中基之の勾留中に選任されていた小堺弁護士と接見した際には、田中基之は自己の犯行関与を認める供述をし、自己の無実を訴えてはいない旨証言していること(<証拠>)、田中基之は警察官らが言い分を聞いてくれなかったというが、一二月一一日と一二月二二日の二回にわたって否認調書が作成されていること(<証拠>)、その後一二月二四日の検察官の取調に対して原告ら三名の本件刑事事件関与を認める供述をしていること(<証拠>)、田中基之はその後水口弁護士に保釈申請書を書いてもらった際、自己の犯行関与を認めていること(<証拠>)、父親の上申書にも「息子がすまないと謝っていた」旨の記載があること(<証拠>)等の事情に照らすと、田中基之の右証言等は、いずれも採用することができない。

(10) 金子誠の供述

金子誠は、刑事審における証言(原告の第一審)及び被告人質問(同人及び田中基之の第一審及び控訴審)において、自己の起訴事実を否認するとともに、原告及び田中基之の本件刑事事件への関与を否定し、捜査段階で自白した理由として、「西新井署の取調室に四人くらいの刑事が入ってきて、『妊娠中の妻を安心させてやれ。前科者の子を生ませたいか』『佐藤晃(朴晃)や妻らを証拠湮滅で逮捕する』『黙っていても実刑に持っていく』等と脅迫された」とか、「刑事から『自白すれば起訴猶予か執行猶予にしてやる』と利益誘導され、また、『特別に会わせてやる』として泣いている妻と母に会わせ、自白するよう迫られた」等と供述ないし証言をし(<証拠>)、本件においても証人として同趣旨の証言をしている(<証拠>)。

しかし、金子誠には勾留中から弁護人が選任されているにもかかわらず、同人は弁護士には虚偽の自白を強いられたというようなことは一切述べていないこと(<証拠>、なお同人はこの点につき、本件で、「父親が選任した弁護人を警察とつながりのある人間と思って正直に言わなかった」旨供述するが、不合理であって信用することができない。)、同人は、「検察官の取調の際にも起訴猶予等の話や脅迫を受けた事実はない」と供述しながら、警察段階と同内容の自白をしていること(<証拠>)、また、同人は家庭裁判所の審判の際にも裁判官に対し、警察官から虚偽の自白を強いられたというようなことは述べていないこと(<証拠>)等の事情に照らして、同人の右刑事審の証言等及び本件における証言は、いずれも信用することができない。

(二) 原告の供述

原告は刑事審(同人の第一審)の被告人質問(<証拠>)及び本件における原告本人尋問において、自己のアリバイを主張するとともに、「高橋刑事が『金子早苗を逮捕する』『暴力団をしている大久保の父親が黙っていない』『警察が聞き込みをして、家族に迷惑が掛かる』と脅され、また、『話せば起訴猶予か執行猶予にしてやる』等と言われた」とか、「小野刑事及び被告田中刑事が小突いたり、被告高橋刑事が机を押しつけあるいはぶつける等して虚偽の自白をするよう迫った」と供述している。

しかし、原告の供述調書を検討してみると、逮捕された一二月一〇日に松野刑事、同月一一日、一五日、一六日及び二四日に小野刑事、同月二〇日に被告高橋刑事、同月一九日に被告田中副検事がそれぞれ取り調べており、同月一六日の調書以外はいずれも否認調書が作成されているし(<証拠>)、同月一一日の供述調書(<証拠>)には、原告の供述に基づいて金子早苗の名前を「苗」と表示してあることが認められ、また、同月一五日の供述調書には原告が署名・指印を拒否したので署名・指印がなされていないことが認められる(<証拠>)。さらに、原告がアリバイ工作をしたことを認めた内容の同月一六日の供述調書(<証拠>)については、途中で細田弁護士(本訴の原告代理人でもある。)が原告と接見すると、原告は再び否認をするようになったため、途中から否認調書が作成されているが、他方当時細田弁護士に対し、原告が警察官から暴行・脅迫等により虚偽の自白を迫られた旨を述べたことをうかがわせる証拠はまったくない。これらの事情に照らすと、原告が警察官から暴行・脅迫等を受け、供述を押しつけられた旨の原告の前記供述は信用することができない。

以上のほか、警察官らが原告ら三名及びその他の本件刑事事件の被疑者らの取調に当たり、暴行・脅迫等の手段を用いた違法な取調により、原告ら三名が本件刑事事件に関与したとの供述を押しつけたとの原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

2  朴晃及び安斉栄一に対する取調について

原告は、警察官が朴晃(帰化して佐藤晃となる。以下「朴晃」という。)及び安斉栄一(以下「安斉」という。)に対し、脅迫による違法な取調をして、原告ら三名から本件刑事事件に関するアリバイ工作に協力を要請された旨の供述を押しつけたと主張し、右主張に副う両名の刑事審の証言及び朴晃の本件における証言が存する。

しかし、朴晃の右刑事審(田中基之及び金子誠の第一審)における証言は、「アリバイ工作をした旨の供述調書(<証拠>)に関し、西新井署に原告ら三名のアリバイを主張すべく出頭したが、刑事が自分の言い分をとってくれなかった」というのであるが(<証拠>)、原告ら三名のアリバイ主張をすべく警察に出頭した者が取調の当初から、暴行・脅迫等を加えられるといった格別な事情もないのに(朴晃は警察官らから暴行・脅迫等を加えられたというようなことは証言していない。)、警察官の押しつけたアリバイ工作の話に迎合する内容の供述をするということは不自然であり、信用することができない。また、同人の本件における証言も、「一二月二三日の取調べの際、アリバイ工作をしただろうとしつこく警察官から言われ、『三人(原告ら三名)が認めているのに、お前がいないと言うと、いつまでも出られない』、『お前も入れる』等と脅されたため警察官のいうままにアリバイ工作をした旨の供述をしてしまった」というのであるが、同人は犯行に関与したわけではないのであるから、警察官から逮捕するかのように脅されたという右証言自体が不自然であるうえ、前記刑事審の証言内容と対比して一貫性に欠け、信用することはできない。

さらに、安斉も刑事審(原告の控訴審)において、アリバイ工作をした旨記載された供述調書(<証拠>)について、「一二月二四日の調書は取調に当たった萩原刑事が、映画に行ったという話を信用してくれず、『いつまでもそう言っていると原告らが出られない。お前がここで言えば正月までに絶対出られる』と言われ、また、『お前にも逮捕状が出ている』と脅迫されたのでそのように供述した」旨の証言をしている(<証拠>)。

しかし、右証言によれば、安斉は一二月一三日ないし一四日ころ、田中基之の両親に会い、「田中基之は無実だ。僕たちが証人になる」とまで話して、原告ら三名のアリバイを主張すべく警察に出頭したというのであり、そうであるとすれば警察官の押しつけたアリバイ工作の話に最初から迎合するということは、前記朴晃の刑事審における証言と同様きわめて不自然である。また、安斉は一二月二六日に被告田中副検事の取調を受け際、同被告に「原告らが本当に年内に出られるのか」と問うたところ、同人から「そんなことはない」と言われたとも証言しているが、そうであるとすればアリバイ工作に関する供述内容を覆してしかるべきなのに、右一二月二六日の安斉の被告田中副検事に対する供述調書(<証拠>)の内容は従前の供述内容と同様であり、これらの事情に照らすと、安斉の前記刑事審の証言は不自然であって、信用することができない。

3  なお、原告は被告原田刑事、同高橋刑事及び田中刑事が前記捜査官らと共同して、原告ら三名を本件刑事事件の主犯格に仕立て上げようと企てたと主張するが、前記認定の捜査の経過によれば、別件で取り調べていた塚本、朴文緒らが本件刑事事件について自白し、山中久義ら共犯者の氏名が明らかとなり、同人らの取調の結果次第に原告ら三名の本件刑事事件関与の供述が得られるに至ったものであることが明らかで、これらによれば警察官らが原告ら三名を本件刑事事件の主犯格に仕立て上げようと企てたとは認めることはできず、原告ら三名及びその他の本件刑事事件の被疑者及び参考人が警察官から暴行・脅迫等を受けて、原告ら三名の本件刑事事件関与を認める供述を押しつけられた旨の前掲各供述が採用し難いことは前記のとおりであり、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

原告の争点1に関する主張は理由がない。

四争点2について

1  原告は、被告田中副検事が警察官らの違法な取調を容認したと主張するが、原告が主張する警察官らの違法な取調を認めることができないことは前記認定のとおりであるから、右主張は理由がない。

2  また、原告は、被告田中副検事が自らも田中基之の取調の際違法な取調をしたと主張するところ、同被告が刑事審(原告の第一審)で、「田中基之の取調の際、警察での供述を翻したので、『警察で認めていながらここにきて否認して逆戻りするのか。そんな改心していないなら、刑務所に行く気でそんなことを言ってるのか』と強い言葉では言ったことはあります。」と証言し(<証拠>)、本件でも同旨の供述をしていること(被告田中司郎)及び田中基之の同被告作成にかかる検察官面前調書(<証拠>)が刑事審の控訴審(<証拠>)において特信性に疑問が残るとされたことは、原告指摘のとおりである。

しかし、右控訴審においても、右検察官面前調書の任意性が否定されているわけではなく、右<証拠>及び被告田中司郎の本人尋問の結果に照らしても、被告田中副検事が田中基之に対し任意に供述できないように仕向ける違法な取調をしたと認めるには足りず、その他被告田中副検事に違法な取調があった旨の原告主張事実は、これを認めるに足りる証拠がない。

3  次に、原告は、被告田中副検事のした原告に対する勾留請求及び公訴提起には、原告が本件刑事事件に関与したとの嫌疑があったとはいえないと主張するので判断する。

(一) 勾留請求について

検察官の行う被疑者の勾留の請求に際しては、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」が必要であるが(刑事訴訟法二〇七条、六〇条)、前記二認定の本件刑事事件の捜査の経過によれば、原告に対する勾留請求をした時点(一二月一三日)においては、それまでに多数の共犯者が原告の本件刑事事件関与を目撃した旨供述しており、原告について「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があったものと認められ、この点に関する原告の主張は理由がない(前掲最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決参照)。

(二) 公訴提起について

刑事審において原告が無罪判決を受け、これが確定していることは前記のとおりである。

しかし、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるということはなく、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、当該公訴の提起は違法性を欠くものと解すべきところ(前掲最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決、最高裁判所昭和五九年(オ)第一〇三号平成元年六月二九日第一小法廷判決、民集四三巻六号六六四頁参照)、前記二認定の本件刑事事件の捜査の経過及び同所掲記の各証拠によれば、被告田中副検事が原告を別紙記載の公訴事実で起訴した当時、多数の共犯者が原告の本件刑事事件への犯行関与を目撃した旨供述しており、その供述内容も原告らの行動について具体的で多岐にわたっていたことに加え、(一)原告以外の共犯者はいずれも本件刑事事件に関与したことを自白していたこと、(二)原告自身も一旦はアリバイ工作をしていたことを認める供述をしていたこと、(三)原告の主張していたアリバイについては、原告と愛人関係にあった金子早苗の供述の信憑性に大きく依存しており、アリバイを裏付ける客観的証拠が乏しかったこと、(四)共犯者あるいは関係者の中に原告らがアリバイ工作をしたことを供述している者がいたこと等の事実が明らかである。

そして、刑事審の第一審判決は原告に対し有罪判決を下しており(<証拠>)、これを差し戻した控訴審判決も「(原告ら三名が)本件犯行に参加したことを一応認めえないわけではない」と判示しており(<証拠>)、差戻後の第一審判決も原告の本件刑事事件関与について「合理的疑いを超えて確信に達するためには、いまひとつ証明に欠けるものがある」とはしているものの、「(原告ら三名が)本件各犯行に関与している疑いは、きわめて濃厚というべきである」とも判示しており(<証拠>)、右いずれの判決も原告の本件刑事事件関与について、相当濃厚な嫌疑があることを認めていることも明らかである。

以上の事情を総合すれば、本件刑事事件について公訴を提起する時点(一二月二八日)において、原告が右事件に関与していたとの嫌疑は十分あったものと認められ、この点に関する原告の主張は理由がない。

五争点3について

1  原告に関するアリバイ捜査について

(一) 原告は、本件刑事事件の捜査らには、次のとおり原告が主張していたアリバイについて裏付捜査を十分に尽くさなかった過失があると主張する。

すなわち、原告は、「本件刑事事件が発生した当日は女友達である金子早苗と行動を共にしており、スナック『ジュン』に立ち寄った後、ホテルに宿泊したから本件刑事事件には関与していなかったので、彼女を調べるなり、彼女の日記帳を調べるなりしてはっきりしてもらいたい」旨のアリバイ主張をしていたのであり、金子早苗も西新井署における警察官の事情聴取に対して、「一〇月一五日午後四時ころ、原告と新宿で待ち合わせて、一旦金子早苗の車を原告が運転して草加市の金子早苗の自宅に行った。当日は金子早苗の友人である広瀬明美の彼氏の長田繁義が友人の結婚式に出席するため上京するので、同人らと会う約束をしていたが、金子早苗の自宅に入るはずの右広瀬からの待ち合わせ場所を知らせる電話連絡がなかったので、午後七時ころ右広瀬らがいるかも知れない新橋の第一ホテルに向けて出発した。しかし、原告らは右広瀬の所在を確認できず、午後八時三〇分ころ東神田の古橋幸子方に行き同所で酒を飲んだ後、午後一一時ころ右古橋方を出発して足立区興野町のスナック『ジュン』に向かい、翌一六日午前零時すぎころ『ジュン』に到着した。『ジュン』では村井恵子らと雑談して同日午前一時すぎころ『ジュン』を出たが、原告とモーテルに行くことになり、北足立自動車教習所近くのモーテルに泊まった。金子早苗は翌朝午前九時三〇分ころ原告とモーテルを出て朝食を済ませた後、午前一一時三〇分ころ帰宅した」旨原告の右アリバイ主張に符合する供述をしたのであるから(<証拠>)、捜査官としては、右金子早苗の供述中に出てきた村井恵子、広瀬明美、古橋幸子らの事情聴取をする等アリバイについて裏付捜査を尽くすべきであり、そうすれば長田繁義が出席した結婚式の「御結婚式御申込書」(<証拠>)、右当日「ジュン」で原告らがもらった同店の新しい図案のマッチ(<証拠>)、村井恵子の通っていた編み物教室の卒業式が一〇月一八日に行われることが記載されている「シルバー通信九月号」(<証拠>。なお、村井恵子は刑事審で、編み物教室の卒業式が行われた一〇月一八日に金子早苗と六本木に一緒に買物に行っており、その約束をしたのが同月一五日であるという記憶をもとに、原告及び金子早苗と「ジュン」で会った日は同月一五日であると証言している(<証拠>。)等の物証を入手することができ、これらの参考人の取調や物証の入手があれば原告のアリバイは十分証明されたはずであり、捜査官らにはこれらの捜査を怠り、原告を起訴し、あるいは起訴に至らしめた過失があると主張する。

(二) そこで、原告の右主張の当否について判断する。

(1) 本件刑事事件の捜査官らが原告を起訴する時点までに、原告が主張していたアリバイに関し、右原告指摘の補充捜査(村井恵子等の参考人の事情聴取等)をしなかったことは弁論の全趣旨に照らして明らかである。

しかし、①原告が逮捕当日の一二月一〇日にアリバイを主張したので、被告原田ら警察官は、金子早苗に出頭を求め、これに応じて同月一七日に出頭した金子早苗は事情聴取を受け、本件刑事事件当時は原告と行動を共にしてモーテルに宿泊していた等原告のアリバイ主張に副う供述をしたが、同人は原告と宿泊したとするモーテルの名前を明らかにできなかったこと(<証拠>)、②被告原田ら警察官は、同月一七日に出頭した金子早苗から日記帳(<証拠>)の任意提出を受けたが、右日記帳の一〇月一五日の欄には後日記載を抹消したり、挿入した形跡がある等その記載内容が改ざんを疑わせるものであったこと(<証拠>)、③原告は、取調の際、本件刑事事件当日宿泊したとするモーテルの名前を特定できず、行った可能性があるとするモーテル等を一〇か所ほど挙げるだけであったこと(<証拠>)、④警察官は、原告が名前を挙げたモーテルに原告らが宿泊したかどうかについて聞き込み調査を実施した結果、北足立自動車教習所付近に所在するモーテル「ベニス」において、一二月一九日及び二〇日の両日、女性からの電話により「一〇月一五日に『ベニス』に泊まっている。友達が警察官に捕まっているが、事件には関係がない。警察官が来たらそう言ってほしい」旨の依頼があったことが判明し(<証拠>)、金子早苗も「ベニス」の従業員に電話をした事実を認めたこと(<証拠>)、⑤原告自身も一旦はアリバイ工作をした事実を認める供述をしたこと(<証拠>)、⑥原告は逮捕された当日からアリバイの主張をし、金子早苗の日記帳を調べるように警察官に要請し(<証拠>)、特に一二月一六日には、右日記帳の形状や金子早苗が日記帳に記載する方法について「タテ一五糎位、ヨコ七糎位のヨコ書きの予定表で、曜日も入っている」、「金子早苗は自分と同宿すると→印を記入する」、「一〇月一五日から一六日にかけても空欄になっていたので書き込んでもらった。ローマ字か仮名の頭文字を付し、→印をして記入したが確か青のボールペンだったと思う」等と述べているが(<証拠>)、原告は右日記帳を一度しか見たことがないとしながらこのように詳細に供述するのはいかにも不自然で、アリバイ工作を疑わせるものであったこと(原告は、逮捕される前に自分が捜査線上に名前が上がっていることを認識していたとか、逮捕前に本件刑事事件の共犯者らから捜査の状況について情報を取得して自分の事件当日の行動について調査してみたり、記憶の喚起をしてみたというようなことは一切供述していない。なお、原告は本件の原告本人尋問において、右<証拠>に記載されている金子早苗の日記帳(手帳)に関する原告の供述は警察官の作文であるというが、原告が供述した右金子早苗の日記帳の形状や金子早苗の記載方法は現実の金子早苗の日記帳の形状や記載方法とほとんど一致しているところ(<証拠>)、金子早苗が西新井署に出頭し、日記帳を任意提出したのは一二月一七日であるから(<証拠>)、この時点では、右日記帳についてそれが真実存在するか否かすら分からない警察官においてそのような作文をすることは不可能なことであったといわざるを得ず、これが警察官の作文であるという原告の右供述は到底採用することができない。)、⑦多数の共犯者らが原告が本件刑事事件に関与した旨の供述をしていたこと(前記二)、⑧金子早苗は原告と愛人関係にある者であり、原告のアリバイ主張を裏付けるに足りる客観性ある第三者ではなかったこと(<証拠>)等、原告のアリバイ主張の信用性に疑問を抱かせる事情が多数存在していたことが認められ、これらの事情があったことを考えれば、原告のアリバイの主張は成り立たないものと判断し、アリバイに関し原告が指摘する補充捜査をしなかった被告原田刑事ら警察官及び被告田中副検事らに、アリバイ捜査不十分の過失があったと認めることはできない。

(2) また仮に、捜査官らが原告指摘のアリバイに関する補充捜査を遂げ、参考人とされる村井恵子らから事情を聴取し、またその結果として「御結婚式御申込書」(<証拠>)等の物証を入手していたとしても、これらはいずれも前記金子早苗の供述の信憑性に根拠を置くものであり、独立して客観的に原告のアリバイを証明するに足りる証拠ではないから、これらの証拠をもってしても原告主張のアリバイが立証できるものとはいえず、右各証拠の存在により原告が本件刑事事件に関与したとの嫌疑に消長を来すものとは認められない(刑事審の原告ら三名の差戻審判決、<証拠>)。したがって、この点においても原告の前記主張は理由がない。

2  田中基之及び金子誠のアリバイ捜査について

(一) 原告は、田中基之及び金子誠は本件刑事事件が発生した当時上野にいわゆるポルノ映画のオールナイト興行を見に行ったとのアリバイ主張をしていたのであるから、同人らのアリバイ捜査を十分に遂げていれば、右アリバイ主張が立証され、その結果原告が田中基之及び金子誠と共謀のうえ本件刑事事件に関与したとの嫌疑にも合理的疑いが生じたはずであると主張する。

しかし、前記説示のとおり田中基之及び金子誠は捜査段階において当初こそアリバイを主張していたが、結局はこれを撤回して本件刑事事件に関与したことを認めるとともに、アリバイ工作をしたことを認める供述をしたこと(<証拠>)、参考人として事情を聴取された朴晃及び安斉が、「田中基之及び金子誠らと本件刑事事件当夜は上野に深夜映画を見に行っていたことにしようとのアリバイ工作をした」旨の供述をしたこと(<証拠>)、本件刑事事件の共犯者の多数が田中基之及び金子誠の犯行関与を認める供述をしていたこと(前記二)等の事情に照らすと、捜査官らが捜査段階において田中基之及び金子誠のアリバイ主張につきさらに捜査を尽くすべき義務があったとは到底認められない。

(二) また、原告は、朴晃が「一〇月二二日に田中基之らと上野にポルノ映画を見に行った件を、同月一五日のことにしようとのアリバイ工作をした」と供述している(<証拠>)ことを捉え、同人は一〇月二二日夜には勤務先の宇田川工務店に出勤していたから、同日深夜に映画を見に行くことは不可能であり、したがって、捜査官らにおいて同人の一〇月二二日の勤務状況について裏付捜査をしていれば、宇田川工務店の出勤表、作業日誌等(<証拠>)等を入手することができ、その結果同人のアリバイ工作に関する供述に矛盾があり、アリバイ工作に関する右供述が虚偽であったことが判明し、結局田中基之及び金子誠のアリバイ主張が真実であることが立証されていたはずであるとも主張する。

しかし、朴晃は右<証拠>において「一〇月二二日か二九日に映画を見に行った」とも供述しており、「一〇月中は同月一六日の一日しか休日がなく、同月二二日に映画に行ったはずがない」とは供述していないのであって、一〇月二二日の夜に朴晃が出勤していることは同人が申し出なければ捜査官側では知りえなかった事実であるから、右一〇月二二日の朴晃の勤務状況に関する裏付捜査をしなかったとしても、捜査を怠ったものと評価することはできない。なお、この点に関し、朴晃は本件において、「取調の際、自分は一〇月二二日に仕事をしていたと述べたのに警察官がそのとおり調書をとってくれなかった」旨の証言をしているが、同人の右証言を信用することができないことは前記三2において説示したとおりである。

(三) 以上によれば、捜査官らが、田中基之及び金子誠のアリバイ主張の裏付捜査を怠ったものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。この点に関する原告の主張も理由がない。

六以上によれば、争点1ないし3に関する原告の主張はいずれも理由がないから、その余の点については判断するまでもなく、被告東京都及び同国に対する本訴請求も失当として棄却を免れない。

(裁判長裁判官小川英明 裁判官小林崇 裁判官松田俊哉)

別紙<省略>

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